今回自然再生士実地研修の場として利用することになった、弊社「長泉農場」についてご紹介します。
場所は、静岡県長泉町 写真の地図で富士エースというゴルフ場の近くにあります。
矢藤園 2代目 恵副が約50年前に購入しました。1970年頃です。
- 土地面積:約30,000坪 90,000㎡(9ha)東京ドーム約2個分
- 標高:約300m
- 1970~73年 モチ・サツキ・モッコク・ドウダン・シュロ・ケヤキをすべて東京から移植
→植木屋として庭木の保管・管理場所として土地利用 - 1975~76年 家を建てる→別荘として使用 道路・水路の整備(それ以前は砂利道)
- 1980年~ 本社のある東京世田谷の事情もあり、生産から造園業への移行もあり、長泉農場は生産場から別荘地へ
人員に対する面積大と計画性のない管理地に私(現在40歳)の幼少の頃は、カブトムシ取りなど自然豊かな場所で遊ぶことができた。
しかし、現在はその環境が乏しくある。
その理由を学びたく自然再生の勉強から、今回の研修会に至っています。
少しここで、この土地の購入前後の歴史を振り返ってみたいと思います。
↓
- 1945~50年(S20-25) 当時スギ・ヒノキの人工林 クヌギ・コナラの雑木林があった
クヌギ、コナラは燃料として使用していた - 1940~50年 農地解放(改革)
終戦後、一般的には1947年(昭和22年)、GHQの指揮の下、日本政府によって行われた農地の所有制度の改革。地主制を解体するために行われた。多くの地主は一定の土地の所有しか許されず、それ以外の土地は国が安価で買い上げ、小作人に売り渡された。
拡大造林政策
同時期である昭和20年~30年にかけて、戦後の復興のため、木材需要が急増した。しかし、戦争中の乱伐による森林の荒廃や自然災害等の理由で、供給が追いつかず、木材が不足し、高騰を続けていた。そこで、政府は造林を急速に行うため、この政策を行う。「拡大造林」とは“おもに広葉樹からなる天然林を伐採した跡地や原野などを針葉樹(スギ・ヒノキ・カラマツ・アカマツなど)中心の人工林に置き換えること”である。また、拡大造林の時期は「燃料革命」とも重なる。それまで木炭や薪が主要燃料であったが、電気・ガス・石油へと大きく切り替わっていった。
- 1970~73年 モチ・サツキ・モッコク・ドウダン・シュロ・ケヤキをすべて東京から移植
→植木屋として庭木の保管・管理場所として土地利用 - 1972年 自然環境保全法
昭和47年 自然環境の保全することが特に必要な区域等の生物多様性の確保。その他の自然環境の適切な保全を総合的に推進する制度が成立。→世の中の、自然に対する保全活動の意識が高まる
- 1975~76年 家を建てる→別荘として使用 道路・水路の整備(それ以前は砂利道)
- 2002年 自然再生促進法の成立
この年、自然再生促進法が議員立法により成立された。失われた生態系の回復が法の目的となる。これにより、「自然との共生」という自然環境保全のキーワードが初めて社会化への明示的な一歩を踏み出す。